だむろっしゅの文化活動部ログ

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折笠 良「エンドゲーム・スタディ」について考えてみた 〜音のアーキテクチャ展

今回は、先日鑑賞してきた「AUDIO ARCHITECTURE:音のアーキテクチャ展」で出会った、 折笠 良氏の「エンドゲーム・スタディ」という作品について書きたいと思います。

 

この作品は、記号の解体、昇華、新しい表現を試みた作品なのかな、と感じました。

特に印象に残ったこちらの作品について考えたことをまとめていきます。

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どんな作品なの?

「AUDIO ARCHITECTURE」という楽曲に合わせて、それぞれのアーティストが映像作品を作成するというのが本展覧会のベースでした。

その中の1つが折笠 良氏の「エンドゲーム・スタディ」です。

 

映像の中では、私たちが普段目にするアルファベットの記号(のようなもの)が音楽に合わせて、舞い上がり、線で結ばれ、また離れて、盤面の上を生き物のように動き回る様子が描かれていました。

 

c、m、tなどのアルファベットの記号が出てきたと思ったら、飛び跳ね、ひっくり返ったり、線で星座のようにつながれたり、かと思いきや砕けてしまったり、と動き回るのです。

そんな様子を見ていると、最初はたしかにアルファベットの記号だったのに、あれ?これはアルファベットなんだっけ?と思えてきてしまいます。

 

公式HPでは以下のように説明されています。

オスカー・ワイルド石原吉郎ロラン・バルトといった、作家・詩人・思想家のテキストをモチーフに制作してきた折笠 良は、記号たちを楽曲に乗せて、生命的挙動を吹き込む。アルファベットの文字たちが平面を離れて舞うたびに、意味(シニフィエ)と記号(シニフィアン)をつなぐ軛(くびき)が外れ、新しい言語の生成が言祝(ことほ)がれる。

http://www.2121designsight.jp/ 21_21 DESIGN SIGHT HP)

 

エンドゲーム・スタディとは?

この言葉、私は今まで知りませんでした。

調べてみたところ、ボードゲームのチェスに関する言葉のようです。

 

ある盤面からどのように動かせば、勝ち、または引き分けに持ち込めるかを考えるパズルの一種であり、将棋の詰将棋のようなものとのこと。

作中でもチェスのモチーフが出てきます。チェス盤のようなフィールドが何度も現れ、アルファベット(のようなもの)がその上を舞い踊っていました。

 

エンドゲーム・スタディとは、チェスのルールに基づいてある1つの正解を求めるゲームです。このことを知った時に、公式HPの説明文中のシニフィエシニフィアンのことを思い出しました。

 

シニフィエシニフィアンって?

シニフィエシニフィアンは、言語学の分野で定義されたフランス語の学術用語です。

日本語訳はいくつかありますが、下記のような表現がわかりやすいかなと思います。

  シニフィエ=「意味されるもの」

  シニフィアン=「意味するもの」

 

この言葉を初めて聞いた方は、全然わかりやすくないよ、と思ったでしょうね、私もそうでした(笑)

 

例えば、りんごというあの赤くて丸い果物を想像してください。これを指し示すためには、りんご、リンゴ、林檎…などいくつかの言葉があります。このとき、最初に想像していただいたりんごという概念がシニフィエ=「意味されるもの」、指し示すための言葉がシニフィアン=「意味するもの」となります。

シニフィアンは書かれた文字だけではなく、私たちが声に出した時の音声なども指します)

※上のイメージがシニフィエ、下の言葉がシニフィアンです。 

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この考え方、学術用語が出てくるまでは、りんごというものに対しては「りんご」という言葉が絶対的に結びつくものだと考えられていました。でも日本語ではりんごや林檎、と表すし、英語ではApple、ドイツ語ではApfel、と文化ごとに色々な表し方ができます。

 

つまり、あるイメージと言葉は1対1の関係だと思われていたところに、新しい考え方、概念をもたらしたのがシニフィエシニフィアンだと言えるのです。

 

作品解釈にどう関係があるの?

最初に書いたように、この作品の中ではアルファベットだと思っていた記号が動き回るうちに、それが記号だということが曖昧になってきます。

 

シニフィエシニフィアンという言葉で言い換えてみます。

作中に出てくる「m」というシニフィアン(意味するもの)は、最初のうちは「mというアルファベット」というシニフィエ(意味されるもの)と結びついています。しかし「m」というシニフィアンが画面の中で動き回るうちに、それが「mというアルファベット」であるということが分からなくなってくるのです

生き物のように動き回る「m」はもはや「mというアルファベット」との関係から離れ、新しい何かに変わっていきます

 

「エンドゲーム・スタディ」というタイトルに戻り、考えてみます。

ある1つの正解を求めるゲームがエンドゲーム・スタディです。しかし作中に現れるアルファベットたちは、「アルファベット」とある1つのシニフィエから解放されていくのです。このとき私たちが見るものは、ある1つの正解に集約していく「エンドゲーム・スタディ」から解放された記号たちなのではないでしょうか。

チェス盤から舞い上がる記号たちを見て、そう感じました。 

 

まとめ

折笠 良氏の作品は、「エンドゲーム・スタディ」というある1つの答えを導きだすこと、というタイトルでありながら、作中ではアルファベットの記号(のようなもの)が元々の記号の意味から解き放たれていく、新しい様々な意味を獲得していく作品でした。

映像表現を使って、記号とその意味の関係性を壊し、進化させていく非常に素敵な作品でした。

 

芸術作品を見て、何を思うか、どう理解するのかの答えは決して1つである必要はなく、むしろ1つであることはあり得ないと思っています。ここまでに書いたことは、あくまでも私がこう解釈しました、という一つの可能性にすぎません。

映像作品ですので、文字や写真だけでは伝わらない部分も非常に多くあります。ぜひご自身の五感で作品を感じてみてください。

 

 ※展覧会全体の感想は過去記事にまとめていますので、こちらもご参照いただけますと幸いです。

damrosch.hatenablog.com